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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)4721号 判決

原告 高口栄子

被告 高口真子 外2名

主文

一  原告の主位的請求及び予備的請求中の第1次請求をいずれも棄却する。

二  被告高口真子は原告に対し別紙物件目録(1)記載の土地建物及び同目録(2)記載の土地につき昭和56年10月30日遺留分減殺を原因とする各持分8844万7179分の233万4226の所有権移転登記手続をせよ。

三  原告の予備的請求中のその余の第2次請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告と被告高口真子との間においては、原告に生じた費用の4分の1を被告高口真子の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告高口美枝子及び同亡高口春男遺言執行者高口たえとの間においては、全部原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(主位的請求)

1 亡高口春男作成名義の昭和56年2月1日付自筆証書による遺言は無効であることを確認する。

2 被告高口真子は別紙物件目録(1)記載の土地建物につき別紙登記目録記載の登記の抹消登記手続をせよ。

3 原告と被告高口真子、同高口美枝子との間において、前項の土地建物について原告が所有権を有することを確認する。

4 被告高口真子、同高口美枝子は原告に対し2項の土地建物につき昭和56年4月28日遺贈を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

5 訴訟費用は被告らの負担とする。

(予備的請求)

1 (一) (第1次請求)

被告高口真子は原告に対し別紙物件目録(1)記載の土地建物につき昭和56年10月30日遺留分減殺を原因とする持分38万7358分の3万5427の所有権移転登記手続をせよ。

(二) (第2次請求)

被告高口真子は原告に対し別紙物件目録(1)記載の土地建物及び同目録(2)記載の土地につき昭和56年10月30日遺留分減殺を原因とする各持分51万0188分の3万5427の所有権移転登記手続をせよ。

2 訴訟費用は被告高口真子の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(主位的請求)

一  請求原因

1 原告は亡高口春男(以下「春男」という。)の妻であり、被告高口真子(以下「被告真子」という。)、同高口美枝子(以下「被告美枝子」という。)は春男と先妻高口泰子との間の子であり、被告春男遺言執行者高口たえ(以下「被告たえ」という。)は春男の母で同人名義の昭和56年2月1日付自筆証書による遺言書(以下「本件遺言書」という。)の遺言執行者である。

2 春男は別紙物件目録(1)記載の土地建物(以下「中野の土地建物」という。)及び同目録(2)記載の土地(以下「伊東の土地」という。)を所有していたが、昭和56年4月28日死亡した。

3 被告らは本件遺言書による遺言が有効であると主張するが、右遺言は次の理由により無効である。

(一) 本件遺言書の作成日附は昭和56年2月1日であるが、春男は右当日本件遺言書を作成していない。すなわち、自筆証書遺言の日附の記載は、遺言の成立時期を明確にするために必要とされるものであるから、真の遺言書作成日の日附を記載すべきである。ところが、春男は、昭和56年2月1日当時胃癌のため○○○○○○病院に入院していたが、病状は重く食事、排泄、散歩などにも原告や看護婦の介添が必要で、ベッドの上に座るにも独力ではできず、本件遺言書を書けるような状態ではなかったし、当日付添看護にあたっていた原告に遺言書作成について助力を求めたこともなかった。したがって、本件遺言書は実際の作成日と作成日附とが一致していないものであって、かかる遺言は日附に関する方式に違背し無効である。

(二) 本件遺言書の押印は春男自身が行ったものではなく、被告真子が行ったものである。すなわち、自筆証書遺言の押印は遺言者の真意を確保するためのものであるから、遺言者自身が遺言書に押印しなければならない。仮に他人が押印する場合でも、遺言者が体力的に押印することが困難なためその依頼により遺言書作成直後に遺言者の面前において押印するときには遺言者本人の押印と同視できるといえても、本件においては右のような事情に存しないから、本件遺言書は押印に関する方式に違背し無効である。

4 被告真子は、中野の土地建物について別紙登記目録記載の登記(以下「本件登記」という。)を経由した。

5 春男は、昭和55年12月22日中野の土地建物を原告に遺贈する旨の遺言をした。

よって、原告は被告らに対し本件遺言書による遺言の無効確認を求めるとともに、被告真子に対し中野の土地建物につき本件登記の抹消登記手続を、被告真子、同美枝子に対し中野の土地建物の所有権確認及び右土地建物につき昭和56年4月28日遺贈を原因とする所有権移転登記手続をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は認める。

3 同3の冒頭の事実のうち被告らが本件遺言書による遺言が有効であると主張していることは認め、その余は争う。

(一) 同3(一)の事実は否認する。春男は昭和56年2月1日当時文書を自由に書くことができたし、また原告が同日病室を空けたこともあったので、本件遺言書を作成する機会も十分にあった。仮に本件遺言書がその日附の日に作成されたものでないとしても、昭和56年2月1日から同月14日頃にかけて継続的に作成されたものであるから、日附に関する方式に欠けるところはない。

(二) 同3(二)の事実は否認する。確かに本件遺言書は当初春男の押印が欠けていたが、自筆証書による遺言書の作成のために遺言者の押印を必要としたのは遺言者本人の同一性を確認するためであり、押印の経緯等を尊重し寛大に取り扱うべきである。本件のように既に存在した遺言を撤回する内容の遺言を春男の実印を預かっている原告に知れないように作成する事実上の必要性と願望があった事情のもとでは、春男の求めに応じて被告真子が代わって押印したということは春男自身による押印と同視できるものであるから、本件遺言書は押印に関する方式に違背するものではない。

4 同4の事実は認める。

5 同5の事実は知らない。

三  被告真子、同美枝子の抗弁

仮に本件遺言書による遺言が無効であるとしても、春男は昭和56年2月14日頃本件遺言書を被告真子に交付する際、同女に対し自分が死亡した場合には伊東の土地の持分2分の1の所有権及び中野の土地建物を贈与する旨の意思表示をし、被告真子はこれを受諾した。

したがって、右死因贈与契約により請求原因5記載の遺言は撤回されたものというべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。被告真子は、本件遺言書に基づき遺言執行者の選任申請や遺贈・相続を原因とする登記手続をするなど死因贈与契約と相容れないことを行っている。

(予備的請求)

一  請求原因

1 主位的請求の請求原因1、2と同旨

2 春男は、本件遺言書による遺言において中野の土地建物を被告真子の単独所有に、伊東の土地を被告真子と原告の各持分2分の1の共有にする旨の相続分の指定及び遺産分割方法の指定をした。

3 中野の土地建物の価額は金7747万1600円であり、伊東の土地の価額は金4913万円である。

4 したがって、右各相続財産の合計は金1億2660万1600円であり、原告の遺留分額は右合計額の4分の1である金3165万0400円であるところ、原告が本件遺言書による遺言によって取得した財産額は伊東の土地の2分の1である金2456万5000円であって、遺留分額よりも金708万5400円少なく、本件遺言書による遺言は原告の遺留分を侵害している。

5 原告は被告真子に対し、昭和56年10月30日到達の書面をもって遺留分減殺の意思表示をした。

6 ところで、遺留分減殺の目的物が複数ある場合には、遺留分権利者に減殺の目的物選択権があると解されるので、原告は第1次的に遺留分を侵害している中野の土地建物についてのみ減殺する。仮に右選択権が認められない場合には、第2次的に中野の土地建物及び伊東の土地について減殺をする。

よって、原告は被告真子に対し、昭和56年10月30日遺留分減殺を原因として第1次的に中野の土地建物につき持分38万7358分の3万5427の所有権移転登記手続を、第2次的に中野の土地建物及び伊東の土地につき各持分51万0183分の3万5427の所有権移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。なお、春男の相続財産には他に売買代金債権がある。

2 同2の事実は認める。

3 同3の事実は知らない。

4 同4の主張は争う。

5 同5の事実は認める。

6 同6の主張は争う。遺留分権利者が減殺の方法として特定の相続財産に対してのみ減殺することは許されないから、第1次請求は失当である。

第三証拠〔略〕

理由

一  主位的請求について

1  請求原因1、2及び4の各事実並びに被告らが本件遺言書による遺言が有効であると主張していることは、いずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、本件遺言書による遺言の効力について検討する。

(一)  右当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第1号証、第11、第12号証、第13、第14号証の各2、証人友田直彦の証言により真正に成立したものと認められる甲第8号証(弁論の全趣旨により原本の存在が認められる。)、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第4号証の2、証人友田直彦の証言、原告及び被告真子各本人尋問の結果(但し、いずれも後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告真子及び同美枝子は春男と泰子との間の子であるところ、春男は昭和53年8月29日泰子と調停による離婚をし、昭和55年8月6日原告と婚姻したが、胃癌のため同年11月19日○○○○○○○○病院に入院した。

(2) 春男が同年12月16日個人病室に移ってから、原告は泊り込みで看病にあたっていたが、同月14日頃には担当医師から春男が既に胃癌の末期状況にあると聞かされていた。

(3) 春男は同月18日被告たえ及び弟高口次雄が服部弁護士を同道してきた際に中野の土地建物を原告と被告真子の各持分2分の1の共有に、伊東の土地を原告の単独所有に相続させる旨の遺言書(甲第13号証の2)を作成した。

(4) ところが、その後春男は、同月20日及び22日に中野の土地建物を原告の単独所有とし伊東の土地を原告と被告真子の各持分2分の1の共有とする旨の遺言書(甲第14号証の2、第4号証の2)を作成した。

(5) 春男は、被告真子が中野の土地建物で従前春男が経営していた薬局店の営業を引継ぐことを希望したので、被告真子は昭和56年1月5日頃から右薬局店の営業にあたり、日曜日には毎週のように春男の見舞いに行っていた。

(6) 同年2月1日は被告真子の20歳の誕生日であったため、春男は当日被告真子が見舞いに来てくれることを期待し、3回ほど電話をして被告真子に連絡をとったが、被告真子は薬局の営業上春男の見舞いには行かなかった。春男は当日テレビを見るなどして過ごし、原告は手洗いなどのために病室を空けることがあった。

(7) このころ春男は独力で起居はできない状態であったが、字を書くことやテレビのチャンネルを変えたりすることはできた。原告は筆記用具をガーゼなどとともに病室のテレビ台用の棚の中に保管していたところ、右棚は春男の足元近くに置いてあることもあったが、台車が付いていて病室内を容易に移動できるものであった。

(8) 被告真子は、同月7日夜から翌8日朝にかけて原告に代わって泊り込みで春男の看病をすることになっていた。春男は同年1月頃から被告真子が見舞いに行くと薬局店を続けてゆくことを強く希望し、「遺書を書かなくては」と言っていたが、2月7日夜被告真子が原告と交代して間もなく被告真子に指示して便箋綴りをテレビ台用の棚の中から出させ、「お前に遺言書を書いておいたから」と言って右便箋綴りの中から本件遺言書を取り出し被告真子に手渡した。しかし、春男の実印は原告が保管していたので、遺言書には春男の押印がなされていなかった。

(9) そこで、春男は被告真子と相談のうえ同女に対し翌8日原告が病院に戻ってきたときに薬局の支払に充てる小切手を振出すため実印が必要であることを口実にして原告から春男の実印を受け取り、右実印を春男に代わって本件遺言書に押捺するよう指示した。そして、被告真子は指示どおり右実印を原告から受け取り本件遺言書とともに自宅に持ち帰り、本件遺言書に記載された春男の名下に右実印を押捺した。

以上のとおりであり、原告及び被告真子各本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、春男は昭和56年2月1日押印部分を除き本件遺言書(乙第1号証の3)を作成したものと推認するのが相当である。

(二)  ところで、自筆証書による遺言において押印が必要とされるのは、遺言者の特定及び遺言が遺言者自身の意思に基づくものであることを明らかにさせるためであると解されるところ、右認定事実によれば、春男は昭和56年2月7日被告真子に対し押印を欠く本件遺言書を交付し、かつ原告に預けてある実印の返還を受けて本件遺言書に押印するよう指示し、被告真子は翌8日原告から春男の実印の返還を受けて春男の指示どおり本件遺言書に右実印を押捺したものと認められるから、このような経緯でなされた押印も遺言者の特定及び遺言意思の確認に欠けるところがないので、自筆証書による遺言として遺言者の押印に関する方式を具備しているものと認めるのが相当である。

(三)  以上によれば、本件遺言書は自筆証書による遺言として有効であるから、原告の主位的請求は理由がない。

二  予備的請求について

1  請求原因1、2及び5の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  ところで、遺留分減殺請求における遺留分算定の基礎となる財産の価額は相続開始時によるべきであるから、以下において中野の土地建物及び伊東の土地につき相続開始時たる昭和56年4月28日当時の価額について検討する。

(一)  中野の土地建物

(1) 中野の土地の価格(更地価格)については、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第5号証の鑑定書では昭和58年1月1日を価格時点として金7409万7000円(1平方メートルあたり金62万5238円)と評価し、成立に争いのない乙第2号証の鑑定書では昭和59年12月1日を価格時点として金6522万円(1平方メートルあたり金55万5000円)と評価している。また右乙第2号証及び弁論の全趣旨によれば、昭和57年及び昭和58年度の固定資産課税台帳登録証明書の評価価格は金1234万4300円(1平方メートルあたり約金10万5040円)である。

ところで、右各鑑定書における価格の相違は、主に取引事例比較法による比準価格にあり、一般に比準価格に基づく土地価格の算出は取引事例地と鑑定対象地との間で諸々の修正をなすことが必要であるところ、乙第2号証の鑑定書によれば、中野の土地に近接した地点に地価公示地(中野-3)があるけれども、右地価公示地は住宅地域であるのに対し、中野の土地は近隣商業地域に属し、商店街の角地にあるため右地価公示地によるのは相当でない。むしろ、本件では、甲第5号証の鑑定書において収集された取引事例(中野区○○×-×××-××・××の土地)が中野の土地と同じ商店街に属し、場所的にも極めて近接し、かつその取引時点が昭和56年2月であって、本件の相続開始時に近いので右土地を比準価格の決定にあたり特に斟酌すべきところ、その取引価格は1平方メートルあたり金51万1316円である。

また中野の土地の収益価格は、甲第5号証の鑑定書では昭和58年1月1日当時1平方メートルあたり金45万6500円と評価し、乙第2号証の鑑定書では昭和59年12月1日当時1平方メートルあたり金34万8000円と評価しているが、収益価格は一般に土地の時価に比して低額となることが多いので、土地の評価にあたり必ずしも重要視しなければならないものとはいえず、参考として考慮すれば足りるというべきである。

したがって、右のような諸事情を考慮すると、中野の土地の昭和56年4月28日当時の価格は1平方メートルあたり金52万円と認めるのが相当である。

(2) 次に中野の建物の価格については、甲第5号証の鑑定書では昭和58年1月1日を価格時点として金337万4600円と評価し、乙第2号証の鑑定書では昭和59年12月1日を価格時点として金199万円と評価している。また乙第2号証の鑑定書によれば、昭和50年ないし57年度の固定資産課税台帳登録証明書の評価価格は、いずれも金86万2700円である。

ところで、右各鑑定書における価格の相違は、主に観察減価(甲第5号証の鑑定書では減価をせず、乙第2号証の鑑定書では30パーセントの減価をする。)及び耐用年数(甲第5号証の鑑定書では30年とし、乙第2号証の鑑定書では27年とする。)にあるが、これらのほか再調達原価などの諸事情を考慮すると、中野の建物の昭和56年4月28日当時の価格は金280万円と認めるのが相当である。

なお、乙第2号証の鑑定書によると、本件建物の一階には有限会社高口薬局に対する貸室部分があるとしてその借家権の価格815万円を減価しているが、右会社の取締役は被告真子であり、独立の借家権として価値を認めるのには疑問があるし、その価格を土地建物の価格から借家権割合として算出し減価するのは相当でない。また中野の土地のうち別紙物件目録(一)(1)記載の土地上には本件建物が存するので、中野の土地価格につき3パーセントの建付減価をするのが相当である。更に甲第5号証及び乙第2号証の各鑑定書によれば、中野の土地のうち別紙物件目録(一)(2)記載の土地は角切り地として一般の通行の用に供されていることが認められるので、その評価価格はゼロとみるのが相当である。

(3) 右(1)、(2)によれば、中野の土地建物の昭和56年4月28日当時の価格は金6207万7088円である。

(二)  伊東の土地

(1) 弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第6号証及び成立に争いのない乙第3号証(いずれも鑑定書)によれば、伊東の土地は被告たえが地上に建物を所有しているため使用借権の負担を負っていることが認められるから、いわゆる底地価格について検討する。

(2) 伊東の土地の底地価格については、甲第6号証の鑑定書では昭和58年1月1日を価格時点として金4913万円(1平方メートルあたり金7万4310円)と評価し、乙第3号証の鑑定書では昭和59年4月1日を価格時点として金6479万2000円(1平方メートルあたり金9万8000円)と評価している。

ところで、右各鑑定書における価格の相違は、主に取引事例比較法による比準価格及び底地割合にある。比準価格を決めるための取引事例としては、乙第3号証の鑑定書において収集された取引事例No.A、B、D(いずれも伊東市○○×丁目所在の土地)が伊東の土地に比較的近接しているので取引事例として考慮するのに適切であり、これに基づく比準価格に収益価格・基準地価格を考慮し伊東の土地の個別的要因に基づく減価をした更地価格は乙第3号証の鑑定書のとおり1平方メートルあたり金12万9000円とみるのが相当であるが、右価格は昭和59年4月1日を価格時点とするものであるから、これを昭和56年4月28日当時に引き直すことを要するところ、右各鑑定書によれば、この周辺では1年間の地価上昇率が約5パーセントであることが認められるので時点修正として15パーセントを減価すると、伊東の土地の昭和56年4月28日当時の更地価格は1平方メートルあたり金10万9650円となる。

次に使用借権の負担を伴う底地割合については、甲第6号証の鑑定書では70パーセントとし、乙第3号証の鑑定書では80パーセントとしているが、右各鑑定書により認められる近隣地域の借地権割合(50パーセント前後)や建物の耐用年数等を考慮すると、右底地割合は75パーセントとし、更に3パーセントの建付減価を認めるのが相当である。

(3) 右によれば、伊東の土地の昭和56年4月28日当時の底地価格は金5274万0183円(円未満切捨て、以下同じ。)である。

なお、被告らは春男の相続財産として他に売買代金債権があると主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はない。

3  以上によると、中野の土地建物及び伊東の土地の昭和56年4月28日当時の価格合計は金1億1481万7271円であり、その4分の1にあたる原告の遺留分額は金2870万4317円であるところ、本件遺言書による遺言によって原告が相続した遺産の価格は伊東の土地価格の2分の1にあたる金2637万0091円であるから、右遺留分額よりも金233万4226円不足することになる。

ところで、原告は遺留分減殺者には減殺の対象を選択する権利がある旨主張するけれども、右のように解すべき法文上の根拠はないし、これを認めると減殺者に恣意を許すことになり、またその後に予想される遺産分割等の内容を減殺者が一方的に先取りしてしまうことにもなるので減殺者に右選択権を認めることはできないから、原告の右主張は採用できない。したがって、本件では中野の土地建物と伊東の土地双方についてそれぞれ遺留分の割合に応じて持分権が減殺者に移転し共有関係が生じるものと解するのが相当である。

そうすると、被告真子が本件遺言書による遺言によって取得した伊東の土地(持分2分の1)と中野の土地建物の価格合計は金8844万7179円であるから、原告は遺留分として被告真子から伊東の土地及び中野の土地建物についてそれぞれ持分8844万7179分の233万4226の所有権の移転を受けたものといえる。

三  以上の次第であるから、原告の主位的請求及び予備的請求中の第1次請求はいずれも理由がないから棄却し、予備的請求中の第2次請求は、被告真子に対し中野の土地建物及び伊東の土地につき昭和56年10月30日遺留分減殺を原因とする各持分8844万7179分の233万4226の所有権移転登記手続をすることを求める限度で理由があるから右の限度で認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条、92条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村重慶一 裁判官 山崎勉 石田浩二)

別紙物件目録〈省略〉

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